小田原熱海間に、軽便鉄道敷設の工事が始まったのは、良平の八つの年だった。
八歳の少年良平が、工事現場のトロッコを押させてもらい、思いがけず遠くまで来てしまう話です。はじめは夢中だった気持ちが、景色が変わるにつれて少しずつ心細さに変わっていきます。ごく短い掌編で、一部の中学校の教科書にも採られてきました。
こんな人に
- 子どものころの心細かった記憶を、ふと思い出すことがある人に
- 大きな事件より、気持ちの移り変わりを味わいたい人に
- 短い時間で読み切れる芥川の作品を探している人に
あらすじ(ネタバレなし)
小田原と熱海の間で軽便鉄道を敷く工事が始まり、八歳の良平は毎日のように村外れへ見物に行きます。目当ては、土を運ぶトロッコです。土工と一緒に乗ってみたい、乗れなくてもせめて押してみたいと思いながら、良平は線路を行き来する車を眺めています。
二月のある夕方、良平は弟たちと置いてあったトロッコを勝手に押し、坂を下って遊びます。ところが背の高い土工に怒鳴られ、慌てて逃げ出しました。
それから十日余りのち、良平は枕木を運ぶ若い二人の土工に声をかけ、トロッコを押させてもらえることになります。蜜柑畑を抜け、下り坂のたびに車に乗せてもらい、良平は得意な気分です。けれども線路は村からどんどん離れていき、日は少しずつ傾いていきます。
主な登場人物
- 良平
- 小田原と熱海の間の村に住む八歳の少年。工事場のトロッコに強くひかれている。
- 弟と隣の子
- 良平の二つ下の弟と、弟と同い年の隣の子。最初の場面で一緒にトロッコを押す。
- 背の高い土工
- 古い印袢天に季節外れの麦藁帽をかぶった土工。勝手にトロッコに触った良平たちを叱る。
- 若い二人の土工
- 枕木を積んだトロッコを押す二人組。縞のシャツの男と、耳に巻煙草を挟んだ男。
見どころ・おもしろいところ
風を受けて坂を下る場面
トロッコが坂を下り出すと、正面の景色が両側へ分かれるように目の前に迫ってきます。顔に当たる風や足もとの揺れが短い言葉で重ねられ、良平が有頂天になる速さがそのまま伝わってきます。
景色とともに変わる気持ち
蜜柑畑、竹藪、雑木林と景色が移るにつれて、良平の気持ちも少しずつ変わっていきます。高い崖の向こうに海が開けたとき、良平は遠くへ来すぎたことを初めてはっきり感じます。出来事は少ないのに、心の動きだけで話が進んでいくところがこの作品の読みどころです。
駄菓子をもらう小さな場面
茶店から出てきた土工が、新聞紙に包んだ駄菓子を良平にくれます。良平はそっけなく礼を言ったあと、悪かったと思い直して一つ口に入れますが、菓子には新聞紙の石油のにおいがしみついていました。落ち着かない良平の心が、この小さなしぐさに表れています。
つまずきやすい所と、読み通すコツ
「われ」は良平のこと
土工たちは良平に話しかけるとき「われ」という言葉を使います。ここでは自分のことではなく、話し相手の良平を指す呼び方です。そう知っておくと、土工の台詞がすっと入ってきます。
昔の長さの単位が出てくる
「十間」「五六町」など、今は使わない長さの単位で道のりが書かれています。数字を換算しなくても、蜜柑畑や竹藪など景色の移り変わりを追えば、どれだけ遠くへ来たかがつかめます。
実在の工事と一人の手記
『トロッコ』は1922年(大正11年)3月、実業之日本社の雑誌『大観』に発表されました。発表時の題は旧仮名遣いの「トロツコ」で、翌1923年には短編集『春服』に収められています。
作家の瀧井孝作によると、この作品には元になった手記があります。湯河原出身の雑誌記者、力石平三が幼いころの思い出を書いたものです。力石は子どものころ、熱海の鉄道が人の力で押す人車鉄道から軽便鉄道へ切り替わる工事を見物していました。芥川はこの手記に手を加えて作品にしたとされています。
力石は当時、出版社の金星堂で校正係をしていました。芥川の短編「百合」や「一塊の土」の題材も、力石が提供したものだといいます。
教科書で読まれ続ける短編
『トロッコ』は一部の中学校の教科書にも採用されてきました。吉田精一は、文章の簡潔さと、主人公の心理が移り変わっていく描き方を高く評価しています。小さな思い込みが深みにはまり、気づいたときには引き返せなくなるところに、実人生の象徴を見ています。
三島由紀夫は、トロッコという一つの物にまつわる記憶を人生の象徴へ広げていく型の短篇として、芥川の作の中でも最も優れたものの一つに数えました。三好行雄は、主人公と芥川の距離が近く、のちの「保吉もの」に先立つ作品だと述べています。2009年には、この作品をモチーフにした映画『トロッコ』が公開されました。
結末まで知りたい人へ
ネタバレを含むあらすじを開く
二軒目の茶店を出たところで、日が暮れかけるなか、土工たちは自分たちは今日は向こうに泊まるから良平はもう帰れと無造作に告げます。去年の暮に母と岩村まで来た道の三、四倍もある道のりを、暗いなか一人で歩いて帰らなければならないと悟った良平は、泣きそうになりながらも線路沿いを走り出します。菓子包みも板草履も羽織も道端に捨て、命さえ助かればと思いながら駆け続け、村外れの工事場が見えても泣かずにこらえました。
けれども家の門口に駆けこんだとたん、良平はわっと泣き出し、父や母や近所の人に何を聞かれても泣き続けるばかりでした。やがて良平は二十六歳で妻子と東京へ出て、雑誌社で校正の仕事をしています。疲れた彼の前には、何の理由もなく、あのときの薄暗い藪や坂のある道が今も細く続いているのでした。
よくある疑問
- 『トロッコ』はどんな話?
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八歳の少年が工事現場のトロッコを押させてもらい、遠くまで来てしまう話です。楽しさが少しずつ心細さに変わっていく気持ちが、短い中に描かれています。
- 『トロッコ』は実話がもとになっている?
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作家の瀧井孝作によると、湯河原出身の雑誌記者、力石平三の手記がもとになっています。力石が子どものころに熱海の鉄道工事を見物した思い出を、芥川が書き直して作品にしたとされています。
- どのくらいの長さ?
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掌編小説とも呼ばれる、ごく短い短編です。章の区切りはなく、ひと続きの話として書かれています。
- 『トロッコ』は無料で読める?
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著作権が切れているため、青空文庫で無料で読めます。新字新仮名の「トロッコ」と、発表時の旧仮名遣いの題を残した新字旧仮名の「トロツコ」が公開されています。
出典
あらすじと解説は、上の資料と作品の本文をもとに編集部が書いています。表紙の絵はこのサイトで作った装丁で、実際の本の表紙ではありません。
