さようでございます。あの死骸を見つけたのは、わたしに違いございません。
山科の藪の中で、胸を刺された侍の死骸が見つかります。物語は、目撃者たちと事件の当事者が語る七つの証言だけで組み立てられ、地の文の語り手はいません。死んだ侍本人まで巫女の口を借りて語り出すなか、話は肝心なところで少しずつ食い違っていきます。
こんな人に
- 推理小説のように、手がかりを並べて自分で考えるのが好きな人に
- 同じ出来事でも人によって見え方が違うことに興味がある人に
- 短い話を何度も読み返して味わいたい人に
あらすじ(ネタバレなし)
ある朝、裏山へ杉を伐りに来た木樵りが、山科の駅路から外れた藪の中で男の死骸を見つけます。胸もとに突き傷があり、まわりの落ち葉は一面に踏み荒らされていました。そばに落ちていたのは縄が一筋と櫛が一つだけで、太刀も馬も見当たりません。
検非違使の取り調べで、証言が次々に集まります。旅の法師は、前日に男が馬に乗った女と連れ立って歩いていたのを見ています。放免は、男の太刀と弓矢を持ち、馬に乗っていた名高い盗人の多襄丸を捕らえたと話します。年老いた女は、死んだのは若狭の国府の侍で、一緒にいたのは自分の娘だと名乗り出て、行方のわからない娘を探してほしいと訴えます。
そして、捕らえられた多襄丸、清水寺に現れた女、巫女に呼び出された死霊の三人が、それぞれの言葉で藪の中の出来事を語りはじめます。
主な登場人物
- 木樵り
- 死骸の最初の発見者。現場に残っていたものを検非違使に話す。
- 旅法師
- 事件の前日、侍と馬上の女に道で行き会った旅の僧。
- 放免
- 検非違使の下で働く者。盗人の多襄丸を捕らえた。
- 媼
- 老女。殺された侍の妻の母で、娘の行方を案じている。
- 多襄丸
- 洛中を荒らす名高い盗人。捕らえられ、検非違使の前で白状する。
- 真砂
- 侍の妻で十九歳。媼によれば男に劣らぬ勝ち気な性格。
- 金沢武弘
- 殺された二十六歳の侍。最後の章では死霊として語る。
見どころ・おもしろいところ
証言だけでできた物語
七つの章はどれも「検非違使に問われたる木樵りの物語」のように、誰が誰に向けて語ったかを題にしています。説明する語り手がいないので、読者は取り調べに立ち会っているような気分で、証言を一つずつ聞くことになります。
死者が自分の最期を語る
最後の章では、殺された侍が巫女の口を借りて登場します。死んだ本人の証言が、生きている人々の話と並べられることで、物語は推理劇の枠を越えた不思議な手ざわりを帯びます。
小さな品物の行方
縄、櫛、太刀、弓矢、馬、そして小刀。証言のたびに、品物がどこにあったかが少しずつ語られます。それぞれの話でこれらがどう扱われているかを追っていくと、食い違いの細部が見えてきます。
つまずきやすい所と、読み通すコツ
登場人物の呼び名に慣れる
検非違使は都の治安を受け持つ役所、放免はその下で働く者です。章の題がそのまま話し手を示しているので、読み始める前に七つの題に目を通しておくと迷いません。
真相を一つに決めなくていい
長年、誰の証言が真実に近いかが議論されてきましたが、芥川は一つの真相にまとめるつもりではなかったとする見方が多くなっています。答え合わせを急がず、それぞれの語り手の言い分を味わうつもりで読むと楽しめます。
今昔物語集と海外の短編から
『藪の中』は1922年1月の雑誌『新潮』に発表され、同じ年の3月に作品集『将軍』へ収められました。下敷きになったのは『今昔物語集』巻二十九の、妻を連れて丹波へ向かう男が大江山で縛られる話です。芥川が平安時代の説話を題材にした、いわゆる王朝物の一編です。
複数の人の証言を並べる形や、霊能者を通して死者が語る仕掛けには、アンブローズ・ビアスの「月明かりの道」の影響が指摘されています。ビアスは芥川が初めて日本に紹介した作家でした。ブラウニングの「指輪と本」との類似も挙げられています。
真相をめぐる論争と「藪の中」という言葉
この作品は、芥川の作品のなかでも特に多くの論文が書かれた一編です。中村光夫が構成の不備だと否定的に評したのに対し、福田恆存が反論し、そこへ大岡昇平が加わって論争が広がりました。その後は真相探しそのものよりも、なぜ真相が見つからないのかを問う研究へと移っています。
証言の食い違いで真相がわからなくなることを指す「藪の中」という言い回しは、この作品から生まれました。黒澤明は1950年に『羅生門』の題で映画化し、三船敏郎と京マチ子が出演しています。この映画から「羅生門効果」という用語も生まれ、1964年にはアメリカで舞台をメキシコに移した映画も作られました。
結末まで知りたい人へ
ネタバレを含むあらすじを開く
多襄丸は、女を手に入れたあと、女に請われて侍の縄を解き、太刀打ちの末に侍を殺したと白状します。ところが清水寺に来た女は、盗人に辱められたあと、自分を蔑む目で見た夫を小刀で刺したと懺悔します。そして巫女の口を借りた侍の死霊は、妻が盗人に自分を殺すようけしかけて逃げ去り、一人残された自分は妻の落とした小刀で自害したと語ります。死霊はさらに、息絶える間際に誰かが胸の小刀を抜いたと言います。
三人がそれぞれ自分が侍の死を招いたと語り、話は核心で食い違ったまま物語は終わります。何が本当だったのかは、最後まで明かされません。
よくある疑問
- 『藪の中』はどんな話?
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藪の中で見つかった侍の死をめぐって、目撃者と当事者の七人が証言する話です。証言は肝心なところで食い違っています。
- 『藪の中』の犯人は誰?
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作中では一つに決まりません。発表後、誰の証言が真実に近いかをめぐって多くの論文が書かれましたが、芥川はもともと一つの真相にまとめるつもりはなかったとする見方が多くなっています。
- 黒澤明の映画『羅生門』の原作なの?
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そうです。1950年の黒澤明監督の映画『羅生門』は、主にこの作品を原作にしています。映画では死骸を見つけた木樵りが事件の目撃者として描かれ、原作にない語りが加えられています。
- 『藪の中』は無料で読める?
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著作権が切れているため、青空文庫で無料で読めます。新字新仮名と旧字旧仮名の両方の版が公開されています。
出典
あらすじと解説は、上の資料と作品の本文をもとに編集部が書いています。表紙の絵はこのサイトで作った装丁で、実際の本の表紙ではありません。
