津軽

津軽太宰治
作者
太宰治
発表
1944年(昭和19年)
初出
小山書店「新風土記叢書」の一冊として書き下ろし
形式・長さ
小説・中編
手ごわさ
すぐ読める
或るとしの春、私は、生れてはじめて本州北端、津軽半島を凡そ三週間ほどかかつて一周したのであるが、それは、私の三十幾年の生涯に於いて、かなり重要な事件の一つであつた。
書き出し

青空文庫で無料で読むAmazon で本を探す

ひとことで言うと

作家の「私」が、生まれ育った津軽半島をおよそ三週間かけて一周する旅の記録です。行く先々で昔なじみと酒を酌み交わし、最後に幼いころの子守り「たけ」が暮らす港町を目指します。紀行の形をとりながら、自伝的な小説としても読まれてきました。

こんな人に

  • ふるさとに帰るたび、少し気まずさを感じる人に
  • 旅先で古い友人と飲み明かす話が好きな人に
  • 太宰治の暗いだけではない顔を知りたい人に

あらすじ(ネタバレなし)

戦争の続くある年の五月、作家の「私」は、出版社から津軽のことを書かないかと誘われ、紺に染めた作業服姿で上野から夜行列車に乗ります。津軽で生まれ育ちながら、私は金木や青森、弘前など数えるほどの町しか知りませんでした。生きているうちに故郷の隅々を見ておきたいというのが、旅の動機です。

青森で昔の使用人だったT君に迎えられ、蟹田では中学時代の友人N君の家で蟹の山を前に飲み明かします。N君と二人で半島の東海岸を北上し、本州の北の果ての竜飛を目指します。そのあとは、長兄たちの暮らす金木の生家へ向かいます。

私には、旅に出る前から心に決めていたことがありました。三つから八つまで自分を育ててくれた子守りのたけに、三十年近くぶりに会いに行くことです。たけの住む小泊の港は、楽しみとして旅の最後に残してあります。

主な登場人物

私
語り手の作家。本名の津島修治の名で呼ばれる場面もある。金木の大地主の家に生まれた。
N君
蟹田に住む中学時代の同級生。私に酒を教えた人で、半島の東海岸の旅に同行する。
T君
かつて生家で鶏の世話をしていた同い年の男性。青森の病院に勤めている。
長兄
金木の生家を継ぎ、古い家をそのまま守っている兄。私とはどこか距離がある。
アヤ
生家に仕える男性。女性の名前ではなく、津軽の言葉で「じいや」ほどの意味。
中畑さん
五所川原に住む人。私の二十代の不始末の後始末を引き受けてくれた恩人。
たけ
私が三歳から八歳までの子守り。ある朝突然いなくなり、三十年近く会っていない。

見どころ・おもしろいところ

  1. 旅の始まりの軽い問答

    本編は、なぜ旅に出るのかと問われた私が、苦しいからだと答える短い会話から始まります。早く亡くなった作家たちの年齢を並べてみせるなど、照れ隠しのような冗談が続きます。重い動機を軽口でくるむこの語り口が、全編の調子になっています。

  2. 旧友たちとの酒の席

    旅のあいだ、私はほとんど毎晩だれかと飲んでいます。蟹田では客をもてなしすぎて大騒ぎになるSさんの接待を、私は津軽人の愛情の表現だと書きます。はにかみ屋で、いざとなると度を越してしまう人々の姿が、同じ津軽人の目から描かれます。

  3. 本州の北の果て、竜飛

    船が欠航したため、私とN君は三厩から海沿いの道を歩いて竜飛を目指します。強い風に逆らいながら進んだ先は、本州の道が尽きる北の果てです。宿で酔ったN君が牧水の歌を吟じだす場面には、旅の高揚と可笑しさが同居しています。

つまずきやすい所と、読み通すコツ

序編は昔話と自作の引用

旅が始まるのは本編からで、その前の序編では青森や弘前で過ごした学生時代がふり返られます。過去に書いた自分の小説の一節を何度も引用しながら進むので、旅行記を期待すると戸惑うかもしれません。序編は旅の前置きと割り切って読むと楽です。

歴史の引用は読み流してよい

外ヶ浜の章には凶作の年の一覧が、津軽平野の章の冒頭には百科事典からの長い引用が入ります。津軽の歴史を説明するための部分で、物語は止まります。気になったところだけ拾い、旅の場面に戻ってかまいません。

イニシャルの人物が多い

N君、T君、Sさん、Mさんのように、登場人物の多くはイニシャルで呼ばれます。旅の前半はN君がほぼずっと同行していると押さえておくと、だれと一緒にいる場面かを見失いにくくなります。

戦争末期に書かれた故郷の風土記

『津軽』は、小山書店の依頼で「新風土記叢書」の第7編として書かれました。太宰は1944年5月12日から6月5日まで津軽を旅して取材し、7月末に原稿を書き上げています。同じ年の11月15日に刊行され、本には著者が自分で描いた津軽の略図と挿絵4点が収められました。

太宰は後の文章で、世の中の関心が南方へ向かうなか、自分は反対の本州の北端へ旅立ったと書いています。自分の身がどうなるかわからないうちに、生まれ育った土地をよく見ておこうと思ったというのです。作中でも、津軽半島の北部については国防上の理由で詳しい描写を避けると断っています。

紀行の傑作、たけの像が立つ港

『津軽』は紀行風の小説の傑作とされ、自伝的な小説として論じる研究者も多い作品です。師の佐藤春夫は太宰の死後、この作品には彼の欠点が目立たず長所ばかりが現れていると高く評価しました。一方で、作中で名前を伏せて批判された志賀直哉との間には、のちの確執のもとが生まれています。

たけとの再会の舞台になった小泊には、二人の再会の場面を表したブロンズ像が置かれ、1996年には小説「津軽」の像記念館が建てられました。巻頭に引かれた「津軽の雪」の七つの雪は、新沼謙治が歌った「津軽恋女」のモチーフにもなっています。

結末まで知りたい人へ

ネタバレを含むあらすじを開く

小泊に着いた私は、たけの家の金物屋を探し当てますが、店は閉まっていました。たけは国民学校の運動会に出かけていると聞き、人であふれた運動場を探し回っても見つかりません。家に戻ると、腹痛の薬を取りに帰ってきたたけの娘がいて、私を運動場の掛小屋まで案内してくれます。三十年近くぶりに会ったたけは、私を隣に座らせたまま何も言わずに運動会を見つめ、私は生まれて初めて心の平和を感じます。やがて竜神様の森へ桜を見に行く道で、たけは急にせきを切ったように話しはじめます。

たけの遠慮のない愛情に触れて、私は自分の粗野なところがこの育ての親に似ているのだと気づきます。私は、忘れられない人はT君、中畑さん、アヤ、たけで、みなかつて生家にいた人だと書きます。これらの人と友であると告白して、私は筆をおき、読者に別れを告げて作品は終わります。

よくある疑問

『津軽』はどんな話?

太宰治が故郷の津軽半島を一周した旅をもとにした小説です。旧友や家族と再会しながら、最後に幼いころの子守りのたけを訪ねます。

『津軽』は実話? どこまで本当なの?

1944年に太宰が実際に行った取材旅行がもとになっていて、たけも越野タケという実在の人物です。ただし研究者の相馬正一によると、竜神様の場面で太宰とタケは言葉を交わしていなかったとされています。事実にフィクションを織りまぜて書かれているため、一般に小説として扱われています。

どのくらいの長さ?

中編ほどの長さで、序編と、巡礼・蟹田・外ヶ浜・津軽平野・西海岸の五章からなる本編でできています。太宰は小山清に宛てた手紙に、三百枚を書き上げたと記しています。

『津軽』は無料で読める?

著作権が切れているため、青空文庫で無料で読めます。新字旧仮名の版が公開されています。

出典

あらすじと解説は、上の資料と作品の本文をもとに編集部が書いています。表紙の絵はこのサイトで作った装丁で、実際の本の表紙ではありません。

Let's share this post !