白痴

白痴坂口安吾
発表
1946年(昭和21年)
初出
雑誌『新潮』1946年6月号に掲載。翌年5月に中央公論社から刊行
形式・長さ
小説・短編
手ごわさ
ふつう
その家には人間と豚と犬と鶏と家鴨が住んでいたが、まったく、住む建物も各々の食物も殆ど変っていやしない。
書き出し

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ひとことで言うと

敗戦間近の東京・蒲田の裏町で、映画会社の見習い演出家・伊沢と、隣家の妻である白痴の女が、人目を忍んで一緒に暮らし始める話です。空襲が続くなか、伊沢は言葉もほとんど通じない女の中に、何かの真実を求めようとします。随筆『堕落論』に続いて発表され、戦後文学の出発点とも評された短編です。

こんな人に

  • きれいごとばかりの言葉に、うんざりしたことがある人に
  • 戦争の時代を、英雄ではなく普通の人の目で見てみたい人に
  • 『堕落論』を読んで、安吾の小説も読んでみたくなった人に

あらすじ(ネタバレなし)

戦争の終わりが近づくころ、伊沢は東京・蒲田の場末の裏町で、仕立屋の離れの小屋を借りて暮らしています。大学を出て新聞記者になり、今は文化映画の見習い演出家です。時流に合わせて言葉だけの芸術論を振りかざす会社の人々を軽蔑しながらも、伊沢は首になるのを恐れています。

路地には、一癖も二癖もある住人たちが暮らしています。なかでも目立つのが伊沢の隣家で、心を病んだ資産家の男と、その母、そして男が四国遍路の旅先から連れ帰った妻が住んでいます。妻は人形のように美しい顔立ちの白痴の女で、姑に呼ばれるたびに怯えて身をすくめています。

ある晩、伊沢が遅く帰ると、その女が小屋の押入れに隠れていました。何かをつぶやいて怯える女を、伊沢は一晩泊めてやることにします。それが、二人の奇妙な同居の始まりでした。

主な登場人物

伊沢
二十七歳の独身男性。文化映画会社の見習い演出家で、仕立屋の離れに住んでいる。
白痴の女
隣家の男の妻で、二十五、六歳。姑からは「オサヨさん」と呼ばれる。料理や炊事を知らない。
隣家の男
三十前後の資産家。風采のよい好男子だが、奇妙な振る舞いで路地の人々を驚かせている。
隣家の母親
隣家の男の母。気性が激しく、嫁を「オサヨさん」と鳥のような声で呼び立てる。
仕立屋夫婦
伊沢の大家。町内のお針の先生もしている。伊沢に路地の住人たちの噂を聞かせる。

見どころ・おもしろいところ

  1. すさまじい路地の住人たち

    冒頭では、伊沢の住む路地の人々の暮らしぶりが次々に紹介されます。間借りの娘、煙草屋の老婆、賭場を開く顔役など、戦時下でも少しも変わらない人間の欲が、乾いた筆致で並べられます。

  2. 言葉だけの芸術への怒り

    伊沢は、時代の流行に乗ることしか考えない映画会社の人々を激しく嫌っています。自我や個性を口にしながら中身のない人々への苛立ちが、伊沢がなぜ言葉の通じない女に惹かれるのかを考える手がかりになります。

  3. 空襲下の東京の光景

    物語の後半では、夜ごとの空襲や焼け跡の様子が描かれます。3月10日の大空襲の焼け跡を歩く場面など、伊沢の目に映る光景は容赦がありません。そのなかで、伊沢と女の関係がどう変わっていくかが読みどころです。

つまずきやすい所と、読み通すコツ

主筋が始まるまでが長い

最初のかなりの部分は、路地の住人たちの噂話と伊沢の会社への不満で占められています。女が押入れに現れる場面から本筋が動き出すので、そこまでは舞台の紹介だと思って読み進めてください。

思索が地の文に混ざる

伊沢の考えや独り言が、説明なしに地の文の中へ入り込んできます。誰の声なのか迷ったら伊沢の内心だと考えると、だいたい筋が通ります。性や死をめぐる露骨な描写もあるので、心づもりをして読むと戸惑いません。

敗戦の翌年に出た衝撃作

『白痴』は1946年6月、雑誌『新潮』に発表され、翌1947年5月に中央公論社から単行本になりました。前に発表した随筆『堕落論』とともに注目を集め、安吾は太宰治、石川淳、織田作之助らと並んで、戦後の新しい時代の旗手と目されるようになります。

安吾の直筆原稿では、空襲の場面の言葉は「敵弾」「敵機」となっていました。多くの版では「弾丸」「米機」などに置き換えられていましたが、原稿を翻刻した筑摩書房の全集と、それを底本にした文庫では、原稿どおりの言葉に戻されています。

若い読者を目覚めさせた二作

評論家の奥野健男は、敗戦の混乱の中にいた青年たちにとって、『堕落論』と『白痴』は雷のような衝撃だったと述べています。肉体と本能だけの魂を描いた大胆な表現が、日本の実存主義と戦後文学の出発点になったとも評しました。

1999年には手塚眞監督、浅野忠信主演で映画化されています。テレビドラマや舞台にもなり、英語にも「The Idiot」の題で翻訳されました。

結末まで知りたい人へ

ネタバレを含むあらすじを開く

女はそのまま伊沢の小屋に住みつき、近所に知られないまま二人の同居が続きます。昼の空襲で恐怖に歪む女の顔を見た伊沢は、焼け跡の死体の中を歩きながら、戦争が女を殺してくれればいいとさえ考えます。

4月15日、ついに町が大空襲に襲われます。仕立屋夫婦が逃げたあと、伊沢は女を連れて火の海の中を逃げます。死ぬときは二人一緒だ、俺から離れるなと言うと、女は初めてうなずき、その人間らしい意志に伊沢は心を動かされます。二人は小川を渡って人々の集まる麦畑にたどり着きますが、女は豚のようないびきをかいて眠ってしまいます。女を捨てて去りたいと思いながらも、伊沢は夜明けとともに女と駅を目指して歩こうと考えます。

よくある疑問

『白痴』はどんな話?

空襲の続く戦時下の東京で、見習い演出家の男が、隣家から逃げ込んできた白痴の女とひそかに暮らす話です。

ドストエフスキーの『白痴』と同じ作品?

別の作品です。こちらは坂口安吾が1946年に発表した短編で、戦時下の東京・蒲田が舞台です。

『堕落論』とはどう関係する?

『白痴』は、随筆『堕落論』の次に発表された小説です。主人公の選ぶ生き方が『堕落論』の主題と呼応していると論じる研究者もいます。

『白痴』は無料で読める?

著作権が切れているため、青空文庫で無料で読めます。新字新仮名の版が公開されています。

出典

あらすじと解説は、上の資料と作品の本文をもとに編集部が書いています。表紙の絵はこのサイトで作った装丁で、実際の本の表紙ではありません。

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