小石川の切支丹坂から極楽水に出る道のだらだら坂を下りようとして渠は考えた。
妻子のある中年の作家が、弟子入りしてきた若い女学生に心を奪われ、その恋人に嫉妬して苦しむ姿を、隠さずに書いた小説です。作者自身と女弟子との関わりがもとになっており、私小説の出発点とされます。性を露悪的なまでに描いた内容が、発表当時の文壇に大きな反響を呼びました。
こんな人に
- 人に言えない感情を抱えたことのある人に
- 格好の悪い本音を正直に書いた文章を読みたい人に
- 日本の私小説がどこから始まったのかを知りたい人に
あらすじ(ネタバレなし)
竹中時雄は三十六歳の作家です。妻と三人の子どもがいますが、新婚の楽しさはとうに覚め、書籍会社で地理書の編集を手伝う単調な毎日に寂しさを感じています。そんなとき、備中出身で神戸の女学院に通う横山芳子から、弟子にしてほしいという手紙が届きます。
手紙のやりとりのあと、芳子は上京して時雄の弟子になります。はじめは時雄の家に、やがて妻の姉の家に住んで女塾へ通い、小説を書くようになります。華やかな声と姿の芳子は、時雄の孤独で沈んだ生活を明るくしていきます。
一年半が過ぎたころ、芳子に恋人ができたことがわかります。相手は同志社の学生の田中秀夫で、二人は京都の嵯峨で一緒に過ごしていました。恋の証人の役目を引き受けることになった時雄は、師としてふるまいながら、内心では激しい嫉妬に苦しみます。やがて秀夫は、芳子を追って東京へ出てきます。
主な登場人物
- 竹中時雄
- 主人公の作家。三十六歳で妻子がある。作中では「渠(かれ)」とも書かれる。
- 横山芳子
- 時雄の女弟子。備中新見の裕福なキリスト教徒の家の娘で、文学を志して上京する。
- 田中秀夫
- 芳子の恋人。同志社の学生で二十一歳。神戸教会の秀才として知られる。
- 時雄の妻
- 古風でおとなしい妻。若く美しい芳子が家に来たことに、ひそかに心を悩ませる。
- 芳子の父
- 備中に住む厳格なキリスト教徒。芳子の恋を知り、東京へ出てくる。
見どころ・おもしろいところ
事件のあとから始まる
小説は、時雄が坂道を下りながら、芳子との関係はこれで一段落したと考える場面から始まります。そこから過去にさかのぼり、なぜそうなったのかが語られます。最初に結果を見せられているので、読者は時雄の言い訳を少し疑いながら読み進めることになります。
師という建前と本音
時雄は、芳子の恋を見守る師であり、親から預かった監督者だと自分に言い聞かせます。けれどもその裏には、若い女弟子への恋と嫉妬があります。建前と本音が食い違うたびに、時雄の格好の悪さがむき出しになります。
中年の寂しさの描写
妻子がいても満たされない、三十代半ばの男の寂しさが、物語の土台になっています。時雄は新しい恋をしたいと痛切に願う自分を隠しません。この率直さが、当時の読者に衝撃を与えました。
つまずきやすい所と、読み通すコツ
「渠」は時雄のこと
地の文には「渠」という字がたびたび出てきます。これは「かれ」と読み、主人公の時雄を指します。最初につまずきやすい字なので、知っておくとすぐに読み慣れます。
二章と三章は回想
第一章のあと、第二章と第三章で芳子が弟子入りしたいきさつにさかのぼります。第四章から再び現在の話に戻るので、時間が前後していることを意識すると流れがつかみやすくなります。
全十一章を一気に
作品は十一の章からなる中編です。後半になるほど時雄の苦しみが激しくなり、話の動きも速くなるので、最初の回想を越えたら一気に読み進められます。
取り残された作家の焦り
日露戦争のあと、島崎藤村の『破戒』が大喝采を浴び、国木田独歩も評判を得ていました。花袋は一人取り残されたような気がしたと、のちに回想しています。何も書けず、失望と焦りの中にいたといいます。
花袋は『破戒』を強く意識しつつ、ハウプトマンの戯曲『寂しき人々』も参照しました。そして自分に師事していた女弟子とのかかわりをもとに、この作品を書き上げます。発表後は単行本『花袋集』に収められました。
懺悔録と呼ばれた衝撃
発表の翌月、『早稲田文学』には9人の論者による合評が載りました。島村抱月はこの作品を、赤裸々な人間の大胆な懺悔録だと評しています。以後3年ほど花袋は文壇に君臨しましたが、一般の読者にはあまり受けなかったとされます。
『蒲団』は日本の自然主義文学を代表する作品の一つとなりました。一方で中村光夫は、作者と主人公が同一視され、狭い読者しか相手にできないという私小説の欠陥が、すでにこの作品にはっきり備わっていると批判しています。
結末まで知りたい人へ
ネタバレを含むあらすじを開く
秀夫が東京に居残ると、時雄は芳子を監督するためとして、自分の家の二階に住まわせます。芳子の父が上京して話し合いが持たれる中で、芳子は秀夫と霊肉ともに許し合った仲であることを打ち明けます。欺かれたと感じた時雄は、芳子を父親とともに故郷へ帰らせることにします。
芳子が去ったあと、時雄の家には元の寂しい生活が戻ります。芳子からは、いつもの言文一致ではない礼儀正しい候文の手紙が届きます。時雄は芳子の使っていた二階に上がり、机の引き出しに残されたリボンの匂いを嗅ぎます。そして芳子が使っていた蒲団を敷き、夜着の汚れた襟に顔を埋めて泣きます。
よくある疑問
- 『蒲団』はどんな話?
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妻子のある中年作家が、若い女弟子への恋心と、彼女の恋人への嫉妬に苦しむ話です。作者の田山花袋が、自分の体験をもとに書いたとされます。
- 『蒲団』は実話?モデルはいる?
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花袋に師事していた女弟子との関わりがもとになっています。芳子のモデルは岡田美知代、恋人の秀夫のモデルは永代静雄です。作品の評判が高まったことで、二人の人生にも大きな影響が及びました。
- なぜ私小説の出発点と言われるの?
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作者が自分自身の恋愛や性の悩みを、主人公に重ねて隠さずに書いたためです。ただし、本格的な私小説の始まりは1913年の別の作品だとする平野謙の説もあります。
- 『蒲団』は無料で読める?
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著作権が切れているため、青空文庫で無料で読めます。新字新仮名の版が公開されています。
出典
あらすじと解説は、上の資料と作品の本文をもとに編集部が書いています。表紙の絵はこのサイトで作った装丁で、実際の本の表紙ではありません。
