田山花袋

田山花袋

1872年〜1930年・日本

どんな作家?

明治から昭和初期の小説家で、島崎藤村と並ぶ自然主義文学の代表的な作家です。中年作家が女弟子に寄せる思いを描いた『蒲団』は文壇に衝撃を与え、日本の自然主義に大きな影響を与えました。『田舎教師』などの小説のほか、紀行文や温泉の本も数多く残しています。

最初の一冊

蒲団田山花袋蒲団田山花袋・中編

花袋の名を一気に高めた中編で、日本の私小説の出発点とされる作品です。短く、問題作と呼ばれた理由を自分で確かめられます。

丁稚奉公から紅葉の門へ

本名は田山録弥で、館林(当時は栃木県、現在の群馬県)の藩士の家に生まれました。巡査となった父は西南戦争で戦死し、花袋は9歳で丁稚奉公に出ます。帰郷後は漢学塾で漢詩文を学び、14歳で漢詩集を編みました。

兄に従って上京し、柳田國男と知り合い、尾崎紅葉に入門します。国木田独歩や島崎藤村とも交わり、モーパッサンの影響を受けた『重右衛門の最後』で力量を認められました。日露戦争では従軍記者として戦地に赴き、軍医部長の森鷗外と頻繁に会っています。

露骨な描写を掲げて

1904年の評論『露骨なる描写』のころから自然主義を自覚し、博文館の雑誌『文章世界』の編集主任として新しい文学の担い手となりました。1907年の『蒲団』に続き、『生』『妻』『縁』の三部作と書き下ろし長編『田舎教師』を発表しています。

大正に入ると自然主義の衰退とともに文壇の主流から外れていきますが、『一兵卒の銃殺』などを書き続けました。紀行文にもすぐれ、全国の温泉を巡って温泉に関する本を数多く残しています。晩年は宗教に心を寄せ、1930年に亡くなりました。

田山花袋の作品