「参謀本部編纂の地図をまた繰開いて見るでもなかろう、と思ったけれども、余りの道じゃから、手を触るさえ暑くるしい、旅の法衣の袖をかかげて、表紙を附けた折本になってるのを引張り出した。
雪の敦賀の宿で、高野山の旅僧が、若いころ飛騨の山越えで迷い込んだ山中の一軒家と美しい女の話を、同宿の青年に語って聞かせます。蛇と山蛭の山道を抜けた先に待つ、妖しくも美しい世界を描いた幻想小説の名作です。
こんな人に
- 怪談や不思議な話を夜にじっくり読みたい人に
- 語りの中に語りが入れ子になる物語が好きな人に
- 目に浮かぶような濃い描写の文章を味わいたい人に
あらすじ(ネタバレなし)
若狭へ帰省する「私」は、新橋から敦賀へ向かう汽車で、一人の旅僧と乗り合わせます。駅弁をきっかけに言葉を交わし、敦賀の馴染みの宿に同宿することになった私は、寝つけない夜、床の中で旅僧から若いころの不思議な体験を聞かせてもらいます。
まだ若い修行僧だった宗朝は、飛騨から信州の松本へ抜ける天生峠で、先に行った富山の薬売りが危ない旧道へ入っていったのを見て、その後を追います。道には大きな蛇が横たわり、森では頭上から山蛭が降ってきます。
やっとのことで森を抜け、馬のいななく方へ進んだ宗朝は、山奥の一軒家にたどり着きます。そこには、美しい女と、女の亭主だという太った少年、留守番の馬引きの親仁が暮らしていました。女は傷ついた宗朝を谷川へ案内し、体を洗い流して癒やしてくれます。その夜、家のまわりでは、獣や鳥の騒ぐ声がやみません。
主な登場人物
- 私
- 若狭へ帰省する若者。寝つきの悪い性質で、宿で旅僧の話を聞く聞き手。
- 旅僧(宗朝)
- 高野山に籍を置く四十五、六歳の僧。話の中では二十歳ほどの修行僧として登場する。
- 富山の薬売り
- 峠の麓の茶店で宗朝と居合わせた若い男。宗朝をからかい、危ない旧道へ入っていく。
- 女
- 山奥の一軒家に住む、三十歳前後の美しい女。宗朝を親切にもてなす。
- 少年(次郎)
- 一軒家で女と暮らす、女の亭主だという太った若者。
- 親仁
- 一軒家の留守番をする馬引きの老人。女を「嬢様」と呼ぶ。
見どころ・おもしろいところ
語りの中の語り
物語は、私が聞き手となり、旅僧が昔の体験を語る形で進みます。語りの中にさらに別の語りが入り込む入れ子の構造になっていて、内側へ進むほど不思議な気配が濃くなっていきます。
蛇と山蛭の森
山道に横たわる蛇や、木の上から降ってくる山蛭の場面は、思わず身がすくむほど生々しく描かれます。三島由紀夫は、この写実的な描写の見事さが、後に続く現実離れした場面を支えていると評しました。
やさしさと妖しさの女
一軒家の女は、宗朝の傷を癒やす親切な人として現れます。けれども、そのまわりには猿や蝙蝠がまとわりつき、どこか人間離れした気配があります。やさしさと魔性が同居する女の姿が、作品の中心にあります。
つまずきやすい所と、読み通すコツ
冒頭の語り手に注意
作品は旅僧の語りの一節から始まり、すぐに「私」が汽車で旅僧と出会う場面に戻ります。誰が話しているのかを最初に押さえておけば、そのあと旅僧の長い回想に入っても迷いません。
古めかしい語り口は音読で
旅僧の言葉は「〜じゃ」といった古風な話し言葉で、一文が長く続きます。声に出して読むとリズムがつかめ、意味の切れ目も見えてきます。
短い章を少しずつ
作品は二十六の短い章に分かれた短編です。一章ずつ区切って読めるので、文章が濃くて疲れたら、章の切れ目で休みながら進めると最後まで読み通せます。
二十八歳の鏡花の出世作
『高野聖』は、1900年に雑誌『新小説』に発表されました。当時28歳だった泉鏡花が、作家としての地歩を築いた作品です。1908年の単行本には、鏑木清方の口絵が付けられました。
鏡花は、中国の小説から着想した女の妖怪に、飛騨の天生峠で一軒家に泊まった友人の体験談を重ねて、物語をふくらませたとされます。1964年には、この作品の原型とみられる未発表原稿『白鬼女物語』が見つかっています。
雨月物語と並ぶ幻想文学
吉田精一は、この作品を上田秋成の『雨月物語』と並ぶ名作と評しました。三島由紀夫は、能のワキ僧を思わせる旅僧の語りが額縁となり、読者が少しずつ幻想の世界へ導かれる構造に、成功の一因を見ています。
1904年には鏡花自身の脚本で新派の舞台に上がり、1954年に初めて歌舞伎で演じられました。坂東玉三郎が女を演じた舞台は、シネマ歌舞伎として映画館でも上映されています。1957年の映画『白夜の妖女』など、映像化も重ねられてきました。
結末まで知りたい人へ
ネタバレを含むあらすじを開く
夜を一心に経を唱えて過ごした宗朝は、翌朝一軒家を出ますが、女のことが忘れられず、僧をやめて女と暮らそうと引き返しかけます。そこへ、馬を売りに行った帰りの親仁と出会い、女の秘密を聞かされます。昨日の馬は、女の妖力で姿を変えられた富山の薬売りでした。女は、自分と関係を持った男に息を吹きかけ、獣に変えてしまうのだといいます。
助かったのは女の格別の情けだと聞かされた宗朝は、我に返り、慌てて里へ駆け下ります。話を終えた旅僧は教訓めいたことは何も言わず、翌朝、私と別れて雪の山道を登っていきます。その姿は、雲に乗って行くように見えました。
よくある疑問
- 『高野聖』はどんな話?
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高野山の旅僧が、若いころ飛騨の山中で出会った美しい女と、その一軒家での不思議な体験を、同宿の青年に語る幻想小説です。
- モデルや元になった話はある?
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女の妖怪は、唐代の中国小説『板橋三娘子』から着想されたとされます。飛騨の天生峠の一軒家に泊まった友人の体験談や、『雨月物語』の「青頭巾」の影響もあったといわれます。
- どのくらいの長さ?
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二十六の短い章からなる短編小説です。雪の夜の宿での語りと、夏の飛騨の山での回想という二つの時間で組み立てられています。
- 『高野聖』は無料で読める?
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著作権が切れているため、青空文庫で無料で読めます。新字新仮名の版が公開されています。
出典
あらすじと解説は、上の資料と作品の本文をもとに編集部が書いています。表紙の絵はこのサイトで作った装丁で、実際の本の表紙ではありません。
