- 原題
- Идиот
- 発表
- 1868年
- 初出
- 雑誌『ロシア報知』1868年1月号〜12月号に連載
- 形式・長さ
- 小説・大長編
- 手ごわさ
- 手ごわい
- 書棚
- ロシア文学
スイスでの療養を終えた青年ムイシュキン公爵が、金と欲望の渦巻くペテルブルクの社交界に入っていく話です。作者がめざしたのは「完全に美しい人間」を描くことでした。誇り高い美女ナスターシャ、彼女に執着するロゴージン、将軍家の末娘アグラーヤとのあいだで、疑うことを知らない主人公の善良さが試されます。
こんな人に
- 人を疑えないせいで損ばかりしてきたと感じている人に
- 激しい感情がぶつかり合う修羅場の場面に引き込まれる人に
- 善い人であることは強さなのか弱さなのかを考えたい人に
あらすじ(ネタバレなし)
11月の寒い朝、ペテルブルクへ向かう列車に、一人の若い公爵が乗っています。レフ・ニコラエヴィチ・ムイシュキンです。幼いころから重いてんかんを患い、スイスのサナトリウムで4年あまり療養していましたが、症状が軽くなり、ロシアへ戻るところでした。車中で彼は、父の死で莫大な遺産を手にしたばかりのロゴージンと知り合い、彼が熱を上げる美女ナスターシャ・フィリッポヴナの名を耳にします。
両親を亡くし、公爵家の最後の跡取りとなったムイシュキンは、遠縁にあたるエパンチン将軍夫人を訪ねます。病気やスイスでの思い出を飾らずに語る彼は、将軍夫妻と三人の娘たちの好意を得ます。一方で、将軍の秘書ガーニャが7万5000ルーブルと引きかえに、愛してもいないナスターシャと結婚しようとしていることを知ります。
ナスターシャはその返事を、その夜に開く自分の誕生日の夜会で告げると約束していました。招かれていないムイシュキンも、その夜会へ向かいます。
主な登場人物
- ムイシュキン
- 主人公の若い公爵。名はレフ・ニコラエヴィチ。てんかんの療養で4年あまりスイスにいた。
- ナスターシャ
- ナスターシヤ・フィリッポヴナ。孤児になり、後見人トーツキイの愛人にされた美貌の女性。
- ロゴージン
- パルフョーン・セミョーノヴィチ・ロゴージン。父の遺産を継いだ商人の息子で、ナスターシャに執着する。
- アグラーヤ
- エパンチン将軍家の三姉妹の末娘。誇り高く、公爵をよくからかったり叱ったりする。
- ガーニャ
- 正式にはガヴリーラ・アルダリオノヴィチ。将軍の秘書で、金のためにナスターシャとの結婚を考える。
- リザヴェータ夫人
- エパンチン将軍の妻で三姉妹の母。公爵の遠縁で、感情をそのまま表に出す気の強い人。
- イッポリート
- 肺病で死期の近い17歳の青年。ガーニャの弟コーリャの友人で、虚無的な考えを持つ。
見どころ・おもしろいところ
死刑を前にした20分の話
第1部でムイシュキンは、将軍家の女性たちに、銃殺刑の直前に許された男の話をします。これは作者自身が1849年に体験した模擬処刑とそっくり同じ出来事です。死を目前にした人の時間がどう引き伸ばされるかを語る場面は、作品を貫く死の主題の入口になっています。
光の公爵と闇のロゴージン
二人は列車で出会う最初の場面から対照的に描かれます。ムイシュキンは明るい髪に青い目、ロゴージンは暗い顔つきで、彼の家は窓に鉄格子がはまり、中は闇に沈んでいます。それでもロゴージンは初めから公爵に好意を抱きます。恋敵どうしでありながら離れられない二人の関係が、物語の芯にあります。
ロゴージン家の一枚の絵
ロゴージンの家には、ホルバインが描いた墓の中のキリストの亡骸の絵の複製が掛かっています。ロゴージンは、この絵を見ていると信仰が揺らぐと公爵に打ち明けます。この絵はのちにイッポリートが読み上げる長い手記にもつながり、信仰と無神論が向き合う軸になります。
つまずきやすい所と、読み通すコツ
第1部はたった一日の話
第1部は、11月の朝に公爵が列車で着いてから、その夜の夜会までを描きます。わずか一日のあいだに主な人物の多くが登場するので、密度が高く感じられます。第2部の冒頭では半年が過ぎているので、そこで時間が飛ぶと知っておくと戸惑いません。
同じ人の呼び名が変わる
ロシアの名前は名・父称・姓からなり、場面によって呼び方が変わります。秘書のガーニャは正式にはガヴリーラ・アルダリオノヴィチで、ヒロインは名と父称で「ナスターシャ・フィリッポヴナ」として出てきます。登場人物の欄を手元に置いて読むと迷いません。
寄り道の多さに構えない
作者は先の筋を決めずに書き進めたため、主筋から離れた騒動や長い議論があちこちに入ります。出版当時から、構成のまとまりのなさが指摘されてきました。公爵とナスターシャ、ロゴージン、アグラーヤの四人の関係を軸に追えば、筋を見失わずに済みます。
借金に追われた国外で書かれた
ドストエフスキーが『白痴』に取りかかったのは1867年9月です。債権者から逃れるため、新しい妻アンナとともにスイスで暮らしていました。家賃を払えず5回も住まいを追い出され、書き終える1869年1月までに、スイスとイタリアの四つの町を転々とします。フィレンツェもその一つでした。
暮らしは極貧で、賭博で残りの金をすることもありました。重いてんかんの発作もたびたび起き、この間に生まれた娘ソフィヤは生後3か月で亡くなっています。
1867年の創作ノートでは、のちのムイシュキンにあたる人物は、罪を重ねたすえに改心する悪人として構想されていました。年の終わりに作者は方針を変え、初めから善良な人間を現代のロシア社会に置いて試すことにします。先の筋を決められないまま、1868年1月に最初の章が雑誌に送られました。
当時の酷評と黒澤明の映画化
連載当時のロシアでの評判は、ほとんどが否定的でした。登場人物が現実離れしているという批判が多く、1887年の仏訳・英訳、1889年の独訳が出たあとも、構成のまとまりのなさが指摘されました。作者自身も試みは十分に成功しなかったと考えていましたが、自作のなかで一番気に入っている作品であり続けました。トルストイは本作をダイヤモンドにたとえて称えたといわれます。
映画化も多く、1946年のフランス映画や1958年のソ連映画などがあります。1951年の黒澤明監督版は舞台を日本に移し、森雅之がムイシュキンにあたる亀田欽司を、原節子がナスターシャにあたる那須妙子を演じました。1994年にはアンジェイ・ワイダ監督が、坂東玉三郎の主演でポーランドと日本の合作映画を撮っています。
結末まで知りたい人へ
ネタバレを含むあらすじを開く
夜会でナスターシャはガーニャとの結婚を断り、公爵の求婚にも心を動かされながら、ロゴージンと去ります。半年のあいだ彼女は二人のあいだで揺れ、嫉妬に狂ったロゴージンは公爵をナイフで襲いますが、公爵がてんかんの発作で倒れたため果たせません。避暑地パヴロフスクで公爵とアグラーヤは惹かれ合い、ナスターシャは手紙でアグラーヤに公爵との結婚を勧めます。
ところが二人の女性が顔を合わせた場で、公爵は苦しむナスターシャを見捨てられず、アグラーヤは去ります。公爵はナスターシャと婚約しますが、彼女は式の当日にロゴージンのもとへ走り、翌日、公爵はロゴージンの家で、胸を刺された彼女の亡骸を見せられます。二人は亡骸のそばで夜を明かします。ロゴージンはシベリアで15年の徒刑となり、公爵は正気を失ってスイスの療養所に戻ります。アグラーヤは家族と縁を切り、偽のポーランド伯爵と駆け落ちします。
よくある疑問
- 『白痴』はどんな話?
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疑うことを知らない善良な公爵が、ペテルブルクの社交界で、二人の女性と一人の恋敵との関係に巻き込まれていく話です。作者は「完全に美しい人間」が当時のロシア社会に現れたらどうなるかを描こうとしました。
- タイトルの意味は?
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主人公ムイシュキンのことです。てんかんの後遺症や世間知らずのふるまいから、周りの人々は彼を「白痴」と見下しますが、実際の彼は聡明で、人の心をよく見抜きます。作者は彼をどちらの意味でも否定的には描いておらず、題名には皮肉がこめられています。
- 坂口安吾の『白痴』と同じ作品?
-
別の作品です。坂口安吾の『白痴』は1946年に発表された日本の短編小説で、ドストエフスキーの『白痴』はロシアの長編小説です。題名が同じだけで、話のつながりはありません。
- どのくらいの長さ?
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長編小説で、第1部から第4部までの四部構成です。雑誌『ロシア報知』に1868年から連載されました。『罪と罰』に続いて書かれ、後期五大長編の一つに数えられます。
出典
あらすじと解説は、上の資料と作品の本文をもとに編集部が書いています。表紙の絵はこのサイトで作った装丁で、実際の本の表紙ではありません。
