フョードル・ドストエフスキー

フョードル・ドストエフスキー

Fyodor Dostoevsky

1821年〜1881年・ロシア

どんな作家?

死刑判決とシベリア流刑をくぐり抜け、罪と信仰、神と人間の問題を正面から描いたロシアの小説家です。『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』などの長編は「現代の預言書」とも呼ばれ、作品は170以上の言語に翻訳されています。トルストイ、ツルゲーネフと並ぶ19世紀ロシア文学の巨人です。

最初の一冊

罪と罰ドストエフスキー罪と罰ドストエフスキー・大長編

犯人の側から描かれる心理劇で、予審判事との駆け引きが物語を引っぱるため、思想の議論になじみがなくても読み進めやすい長編です。のちの作品に通じる主題がひととおりそろっています。

銃殺刑の直前に救われた作家

1821年、モスクワの貧民救済病院の医師の次男として生まれました。母を早くに亡くし、父は領地の農民の恨みを買って殺されたとされます。工兵学校を出たあと作家を志し、1846年の処女作『貧しき人びと』は批評家ベリンスキーに「第二のゴーゴリ」と激賞されました。

1849年、空想的社会主義のサークルに加わっていたことで逮捕され、死刑を宣告されます。銃殺刑の執行直前に特赦が与えられてシベリアに送られ、オムスクで1854年まで服役しました。この体験は『死の家の記録』に書かれ、その後の作風にも大きな影響を残しました。賭博癖と持病のてんかんに悩まされ、借金に追われながら長編を書き続けます。1881年、『カラマーゾフの兄弟』を書き上げた数か月後に亡くなりました。

心の奥をのぞく長編

流刑ののち、ドストエフスキーは社会主義に批判的になり、キリスト教的な人道主義へと考えを移していきました。作品には、思想を語り合う人物たちが次々に現れ、殺人や賭博、病といった極限の状況で人の心がむき出しにされます。

ニーチェは彼を唯一無二の心理学者と呼び、カフカやフロイトも深い影響を受けました。日本でも1892年に内田魯庵訳の『罪と罰』が出て以来広く読まれ、江戸川乱歩や黒澤明も愛読者として知られます。一方で、ナボコフのように芸術的には平凡だと批判した作家もいました。

ドストエフスキーの作品