コンクリートの部屋で目覚めた「わたし」は、自分が誰なのかを思い出せません。そこは九州帝国大学の精神病科の病棟で、わたしの失われた記憶が、ある殺人事件の謎を解く鍵だというのです。論文や祭文が入れ子に重なる構成で、日本探偵小説三大奇書の一つに数えられています。
こんな人に
- 一度で理解できない本に、腰を据えて挑みたい人に
- 自分は本当に自分なのか、という問いに惹かれる人に
- 探偵小説の型が崩れていく、奇妙な読書体験を求める人に
あらすじ(ネタバレなし)
見知らぬコンクリートの部屋で目を覚ました「わたし」は、自分の名前も、なぜここにいるのかもわかりません。現れた法医学者の若林博士は、ここが九州帝国大学医学部の精神病科の病棟で、今日は大正十五年十一月二十日だと告げます。
若林博士によれば、ひと月前に自殺した精神医学者の正木博士が、わたしをある実験の対象にしていたといいます。わたしの失われた記憶のなかには、二つの殺人事件の謎を解く鍵が眠っているらしいのです。わたしは隣の病室の美しい少女に引き合わされ、彼女が自分の従妹で婚約者だと聞かされますが、何も思い出せません。
記憶を取り戻させるためだと言って、若林博士はわたしを正木博士の部屋へ連れていき、博士の遺した文書を読ませます。そこには、木魚を叩いて唄う祭文や、脳髄や胎児をめぐる奇妙な論文が収められていました。わたしは夢中でそれらを読み進めていきます。
主な登場人物
- わたし
- 語り手の青年。記憶を失い、自分の名前さえわからないまま病室で目覚める。
- 若林鏡太郎
- 九州帝国大学の法医学教授。長身で冷たい印象の秀才型。わたしの記憶を取り戻させようとする。
- 正木敬之
- 同大学の精神病科教授。「狂人の解放治療」を構想した奇人天才型の学者。若林とは学生時代の同級生。
- 呉一郎
- 二つの殺人事件の鍵を握る二十歳の青年。「わたし」と同じ人物なのかどうかが作品の鍵になる。
- 呉モヨ子
- 呉一郎の従妹で許嫁の美少女。わたしの隣の病室にいると聞かされる。
- 呉八代子・呉千世子
- 姉妹。八代子はモヨ子の母、妹の千世子は一郎の母にあたる。
- 呉青秀
- 唐の時代の画家で、呉家の祖先。彼が遺した絵巻物が事件にかかわってくる。
見どころ・おもしろいところ
物語のなかに埋めこまれた文書
わたしが読む正木博士の文書には、脳髄は物を考える所ではないと説く論文や、胎児が母の胎内で生物進化の夢を見るという「胎児の夢」などが含まれています。小説の途中に論文や唄がそのまま入りこむ構成が、読者を作品の迷宮へ引きこみます。
作中に同じ題の本が出てくる
物語のなかには「ドグラ・マグラ」という書物が登場し、複雑なので最低二度は読み返す必要があると説明されます。読んでいる本と作中の本が重なり合う仕掛けで、読者は自分の読書そのものを疑わされることになります。
呉家に伝わる絵巻物の因縁
事件の背後には、呉家の祖先が遺したという絵巻物の言い伝えがあります。唐の時代の画家にさかのぼる因縁が、大正の殺人事件とどうつながるのか。探偵小説としての謎解きの糸は、この絵巻物を軸に張られています。
つまずきやすい所と、読み通すコツ
中盤の長い文書に身構える
正木博士の文書は、祭文や論文がいくつも続き、作品のかなりの部分を占めます。事件の詳しい経緯は五つめの文書で語られるので、前の四つは雰囲気をつかむつもりで読み、合わなければ先へ進んでから戻ってもかまいません。
呉家の人間関係を押さえる
一郎、モヨ子、八代子、千世子と、呉の姓の人物が多く出てきます。八代子と千世子は姉妹で、モヨ子は八代子の娘、一郎は千世子の息子と覚えておくと、事件の記録を読むときに迷いません。
一度で全部わからなくていい
一度読んだだけで真相や内容を理解するのは難しいとされ、途中で挫折する読者も多い作品です。わからないまま読み進めることも、この小説の体験の一部と割り切ると、最後までたどり着きやすくなります。
十年近い推敲の末の書き下ろし
夢野久作は、作家としてデビューした1926年に「狂人の解放治療」という小説を書き始めました。これがのちの『ドグラ・マグラ』で、およそ10年にわたって徹底的な推敲が重ねられました。製作の過程は『夢野久作の日記』にも記されています。
作品は1935年1月、松柏館書店から書き下ろしで刊行され、「幻魔怪奇探偵小説」という惹句がつけられました。夢野は刊行の翌年に亡くなっています。角川文庫の旧版には自費出版とする記述がありましたが、ちくま文庫版の解題によれば誤りで、自費出版されたのは次の作品のほうでした。
三大奇書としての評価
小栗虫太郎『黒死館殺人事件』、中井英夫『虚無への供物』とともに、日本探偵小説三大奇書に数えられています。犯人も真相も明言されず、論理的な解決が見送られているため、アンチミステリーの一つとみなされることも多い作品です。
江戸川乱歩は「わけのわからぬ小説」と評する一方、乱歩が監修した叢書の版では、戦前の変格探偵小説の一つの頂点とも紹介されました。鶴見俊輔は、作者と父・杉山茂丸の親子関係が集約された作品だと分析しています。1988年には松本俊夫監督で映画化され、正木博士を演じた桂枝雀の怪演が評価されました。
結末まで知りたい人へ
ネタバレを含むあらすじを開く
正木博士の遺言書によれば、呉一郎は二年前に母の千世子を、そして婚礼の前日に許嫁のモヨ子を絞殺した疑いがあり、誰かが一郎に呉家の絵巻物を見せ、祖先の記憶をよみがえらせて殺人へ走らせたのではないかとされていました。読み終えたわたしの前には死んだはずの正木博士が座っており、今日は十月二十日だと言います。博士は、絵巻物の女が隣室の少女にそっくりなことを示したあと、自分こそが犯人だと告白し、一郎の母をめぐる若林との因縁と、呉家の男子が発狂するかを確かめる実験のことを語ります。
博士が部屋を去ったあと、わたしは絵巻物の最後に母千世子の署名のある歌を見つけて取り乱します。戻ってきた部屋には、正木博士の自殺と、前日に呉一郎が起こした惨殺事件を伝える十月二十日付の号外がありました。自分が呉一郎だとは思い出せないまま駆け出したわたしの目に、闇のなかで笑う呉青秀の姿が映ります。犯人も真相も、はっきりとは明かされません。
よくある疑問
- 『ドグラ・マグラ』はどんな話?
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記憶を失って精神病科の病室で目覚めた青年が、自分が誰なのか、過去の殺人事件とどうかかわっているのかを探っていく話です。探偵小説の形をとりながら、その型から大きく外れていく作品です。
- 「ドグラ・マグラ」とはどういう意味?
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作中では、切支丹バテレンの呪術を指す長崎地方の方言とされたり、「戸惑う」「面食らう」や「堂廻り、目くらみ」がなまったものと説明されたりします。ただし、詳しい由来は明らかになっていません。
- 読むと気が狂うって本当?
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読破した者は一度は精神に異常をきたす、という言葉は、角川文庫版の裏表紙の宣伝文句などで広まったものです。横溝正史が読み返して気分がおかしくなったと語った逸話もありますが、いずれも解説や一読者の感想にすぎません。
- 『ドグラ・マグラ』は無料で読める?
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著作権が切れているため、青空文庫で無料で読めます。新字新仮名の版が公開されています。
出典
あらすじと解説は、上の資料と作品の本文をもとに編集部が書いています。表紙の絵はこのサイトで作った装丁で、実際の本の表紙ではありません。
