森鴎外
1862年〜1922年・日本
どんな作家?
陸軍の軍医として最高位まで上りつめながら、小説・翻訳・評論で明治と大正の文学を引っぱった作家です。ドイツ留学の体験をもとにした『舞姫』で出発し、晩年は史実に取材した歴史小説と史伝へ進みました。医学と文学の二つの道を生涯歩き続けた人です。
最初の一冊
高瀬舟高瀬舟
短く、文章も比較的読みやすいうえ、罪とは何かという問いがはっきりしていて、読み終えたあとに考える楽しみが残るからです。
軍医として、作家として
本名は森林太郎で、石見国津和野の藩医の家に生まれました。10歳で父と上京し、年齢を2歳多く偽って満11歳で東京医学校に入学しています。大学を出て陸軍軍医となり、1884年から4年間ドイツに留学しました。
帰国後は『舞姫』や訳詩集『於母影』、翻訳『即興詩人』を発表し、雑誌『しがらみ草紙』を創刊して文筆活動を本格的に始めます。日清・日露の戦争に出征し、1907年には陸軍軍医総監となって医務局長に就きました。退役後は宮内省に移り、帝室博物館総長などを務めています。1922年に亡くなる直前、肩書を一切つけず、ただ「森林太郎」として死にたいという遺言を残し、墓にもその名だけが刻まれました。
翻訳から歴史小説まで
鴎外は小説だけでなく、翻訳、評論、詩歌と、仕事の幅がきわめて広い作家でした。評論では坪内逍遥らと論争を重ね、樋口一葉をいち早く絶賛するなど、新しい才能を見いだす目も持っていました。
1912年、乃木希典の殉死に心を動かされて『興津弥五右衛門の遺書』を書いたのをきっかけに、歴史小説へ向かいます。史実に忠実な『阿部一族』、史実から離れて自由に描いた『山椒大夫』『高瀬舟』を経て、史伝『渋江抽斎』に至りました。感情を抑えた端正な文章で、人の運命を静かに見つめる作品が多いのが特徴です。
