オスカー・ワイルド
Oscar Wilde
1854年〜1900年・アイルランド・イギリス
ダブリン生まれの詩人・作家・劇作家で、19世紀末の唯美主義の中心人物の一人です。喜劇や童話『幸福な王子』などで人気を集めましたが、同性愛をとがめられて投獄され、46歳でパリに客死しました。小説は『ドリアン・グレイの肖像』の一作だけです。
最初の一冊
ワイルドが書いた唯一の長編小説で、警句に満ちた会話や美をめぐる考え方など、彼の持ち味がひとつの物語にまとまっているからです。
社交界の寵児から獄中へ
ダブリンの医師の家に生まれ、ダブリン大学トリニティ・カレッジからオックスフォード大学モードリン・カレッジへ進みました。講師ウォルター・ペイターや美術評論家ラスキンの影響を受け、在学中から唯美主義に傾倒します。1878年に首席で卒業し、ロンドンで派手な身なりと言動で注目を集め、1882年にはアメリカ各地で講演をして回りました。
結婚して二人の息子をもうけ、雑誌の編集者を務めながら童話や小説、喜劇を次々に発表します。しかし1895年、親しかったアルフレッド・ダグラス卿の父クイーンズベリー侯爵との裁判に敗れ、男性との関係をとがめられて投獄され、破産も宣告されました。出獄後は偽名でフランスやイタリアを転々とし、1900年、パリのホテルで亡くなっています。
警句と美の作家
ワイルドの作品は、詩、童話、評論、戯曲と幅広い分野にわたります。『ウィンダミア卿夫人の扇』『真面目が肝心』などの喜劇も書き、英語版の資料ではヴィクトリア朝最大の劇作家とも評されています。1891年にはパリで、詩劇『サロメ』をフランス語で書いています。
獄中ではダグラスに宛てて長い懺悔の文章を書き続け、のちに『獄中記』として出版されました。その作品と生き方は世界中に影響を及ぼし、日本でも森鷗外、夏目漱石、芥川龍之介、谷崎潤一郎らがワイルドを意識していたとされます。
