壺井栄
1899年〜1967年・日本
香川県の小豆島に生まれ、一般向けの小説と童話の両方で活躍した作家です。戦後に書いた『二十四の瞳』は反戦文学の代表作として映画になり、小豆島の名を全国に知らせました。子どもや家族、島の暮らしを、身近な目線で描いた作品を多く残しています。
最初の一冊
作者の代表作で、子どもたちへのまなざしと戦争への思いという、壺井栄の作品に通じる二つの柱がどちらもはっきり表れているからです。
小豆島から東京へ
旧姓は岩井で、1899年に香川県小豆郡坂手村で醤油樽職人の五女として生まれました。父の勤めていた蔵元が倒産して家計が苦しくなり、ほかの家の子守りをして日銭を稼ぎながら高等小学校を卒業しています。郵便局や役場で働いた時期には、肋膜炎や脊椎カリエスにも苦しみました。
1925年に上京し、隣村出身の詩人壺井繁治と結婚します。夫の文学仲間を通じて、林芙美子、平林たい子、佐多稲子、宮本百合子らと親しくなりました。1938年に雑誌『文藝』に発表した「大根の葉」が、一般にはデビュー作とされています。晩年は喘息に悩まされ、1967年に郷里の内海町の名誉町民となった同じ年に、67歳で亡くなりました。
子どもと家族を見つめる作風
作家として歩み始めたころ、佐多稲子は壺井の作風を見て、子どもたちのための童話を書くよう勧めました。同じころ坪田譲治の『風の中の子供』を読んで影響を受け、そこから本格的な執筆が始まっています。のちに『柿の木のある家』で児童文学賞、『坂道』『母のない子と子のない母と』で芸術選奨文部大臣賞を受けました。
扱った題材は、子どもや日常、家族、戦災孤児、そして島の暮らしなどです。反戦の思いも作品を貫く主題の一つで、その代表が『二十四の瞳』です。大人向けの小説と子ども向けの童話を行き来しながら、ふつうの人々の暮らしに寄り添う物語を書き続けました。
