ジョナサン・スウィフト

ジョナサン・スウィフト

Jonathan Swift

1667年〜1745年・アイルランド

どんな作家?

ダブリンに生まれた風刺作家で、聖職者として聖パトリック大聖堂の首席司祭も務めた人です。政治パンフレットの書き手として腕を振るい、のちにはアイルランドの愛国者として慕われました。作品の多くは匿名や偽名で発表され、『ガリヴァー旅行記』も船医ガリヴァーの著作という形で世に出ています。

最初の一冊

ガリヴァー旅行記スウィフトガリヴァー旅行記スウィフト・長編

子ども向けの冒険物語として知られる前半から、鋭い風刺が増していく後半まで、スウィフトの持ち味がすべて詰まった代表作です。旅の話として気軽に読み始められます。

イングランドとアイルランドのはざまで

スウィフトは1667年、ダブリンでイングランド系の家に生まれました。父は彼が生まれる前に亡くなっています。ダブリン大学で学んだあと、イングランドに渡って政治家ウィリアム・テンプルの秘書を務め、このころ「ステラ」と呼んだエスター・ジョンソンと出会いました。二人の親密な関係は、彼女が亡くなるまで続きます。

1704年に『桶物語』と『書物合戦』を出して作家として認められ、ポープやゲイと親交を結びました。やがてトーリー党の政論家としてロンドンで活躍しますが、党の失脚とともに昇進の望みを絶たれ、1713年にダブリンの聖パトリック大聖堂の首席司祭となります。晩年は病に苦しみ、1745年に亡くなりました。

怒りを笑いに変える風刺

アイルランドに戻ったスウィフトは、その筆をアイルランドのために振るいます。『ドレイピア書簡』や『穏健なる提案』などで、イングランドの政策に苦しむアイルランドの立場を訴え、愛国者としての名声を得ました。政府はこれを喜ばず、彼の作品を出した印刷業者が罪に問われたこともあります。

真顔のまま皮肉を言う文体はスウィフトの特徴とされ、穏やかな笑いと痛烈な攻撃の二つの型の風刺を使いこなしたと評されています。アイルランドでは、1976年から発行された10ポンド紙幣に肖像が使われました。

スウィフトの作品