エドガー・アラン・ポー
Edgar Allan Poe
1809年〜1849年・アメリカ
恐怖小説と詩で知られ、「モルグ街の殺人」で近代推理小説の開祖とされるアメリカの作家です。文筆だけで身を立てようとした最初の著名なアメリカ作家でもありましたが、生涯は貧しさの中にあり、40歳で謎の死を遂げています。
最初の一冊
一度に読み切れる短さの中に、罪の意識と理由のない衝動という、ポーが繰り返し描いた主題が凝縮されているからです。
雑誌編集者として生きた生涯
ポーはボストンで旅役者の両親のもとに生まれましたが、父は家族を捨てて姿を消し、母も結核で亡くなります。リッチモンドの商人ジョン・アランに引き取られ、少年時代の一時期をイギリスで過ごしました。ヴァージニア大学に進んだものの、賭博の借金がもとで養父と仲たがいして退学し、陸軍や陸軍士官学校を経て文筆の道に入ります。
ボルティモアで短編を書き始めたポーは、リッチモンドの『サザン・リテラリー・メッセンジャー』誌の主筆になり、発行部数を500ほどから3500に伸ばしました。その後もいくつもの雑誌で編集者として働きながら作品を発表しましたが、生活は苦しく、若い妻ヴァージニアも結核に倒れます。1849年、ボルティモアの投票所になっていた酒場でひどく酔った状態で見つかり、4日後に亡くなりました。死の真相はわかっていません。
恐怖、推理、そして短さ
よく知られているのは「アッシャー家の崩壊」「黒猫」などの恐怖小説で、死や病、早すぎた埋葬、死からの再生といった主題を好んで取り上げました。1841年の「モルグ街の殺人」に登場する名探偵デュパンは、後の推理小説の探偵の原型になっています。冒険小説はヴェルヌやウェルズにも影響を与えました。
批評家としてのポーは、作品は一気に読める長さであるべきだと考え、印象の統一を重んじました。作品は本国より先にヨーロッパで評価され、ボードレールの翻訳はフランス象徴派に大きな影響を与えます。日本でも1887年(明治20年)の「黒猫」の翻訳以来、森鷗外や谷崎潤一郎、江戸川乱歩らに読まれてきました。
