大岡昇平
1909年〜1988年・日本
35歳で召集され、フィリピンで米軍の捕虜となった体験から出発した小説家です。『俘虜記』で作家としての地位を確立し、恋愛小説や推理小説も書きましたが、その目は一貫して戦争に向けられていました。スタンダールの研究者でもあり、「ケンカ大岡」と呼ばれた論争家としても知られます。
最初の一冊
作者の戦争体験から生まれながら、純然たる創作として書かれた中編で、大岡が生涯こだわり続けた主題が凝縮されています。長編の『レイテ戦記』に進む前の入り口として、分量も手ごろです。
スタンダール研究から戦場へ
大岡昇平は1909年、東京の牛込に生まれました。父は株の仲買人で、家の暮らし向きには浮き沈みがありました。成城高校時代に小林秀雄からフランス語の個人教授を受け、詩人の中原中也とも知り合っています。京都帝国大学を出たあとは会社勤めをしながら、スタンダールの研究と翻訳に打ち込みました。
1944年、35歳で召集されてフィリピンのミンドロ島に送られ、暗号手として警備にあたります。翌年1月、マラリアで意識を失っていたところを米軍に捕らえられ、レイテ島の俘虜病院に収容されました。帰国後に書いた『俘虜記』で横光利一賞を受け、作家としての道が開けます。1972年には日本芸術院会員に選ばれましたが、捕虜になった過去を理由に辞退しています。
事実にこだわる好奇心の人
代表作は『野火』と『レイテ戦記』で、戦場の体験を作品の芯に置き続けました。一方で、『ボヴァリー夫人』に倣って書いた『武蔵野夫人』はベストセラーとなり、推理小説『事件』では日本推理作家協会賞を受けています。歴史小説や演劇の台本、ゴルフの指南書まで、手がけた分野は多岐にわたります。
事実への強いこだわりから、井上靖や松本清張、森鷗外の作品を史実の扱いをめぐって批判し、多くの論争を起こしました。鷗外の『堺事件』を検証する『堺港攘夷始末』は、未完のまま遺作となっています。晩年まで、漫画やロックにまで関心を広げた随筆を書き続けました。
