ハーマン・メルヴィル

ハーマン・メルヴィル

Herman Melville

1819年〜1891年・アメリカ

どんな作家?

捕鯨船の水夫として南太平洋を渡り歩いた体験をもとに、海の物語を書いたアメリカの作家です。代表作『白鯨』は生前ほとんど評価されず、作家として認められたのは死後30年たってからでした。いまではアメリカ・ルネサンスの作家の一人に数えられます。

最初の一冊

白鯨メルヴィル白鯨メルヴィル・大長編

メルヴィル自身の捕鯨船での体験と、彼が生涯こだわった海と人間の主題が、最も大きなスケールで書かれた作品だからです。

水夫から作家へ、そして税関へ

メルヴィルはニューヨークの裕福な輸入商の家に生まれましたが、11歳のころ家が傾き、父は多額の借金を残して亡くなります。銀行勤めや小学校の教員を経て、1839年に船員になりました。1840年には捕鯨船アクシュネット号に乗り組み、南太平洋のマルケサス諸島で船を脱走して、先住民の村にひと月ほど暮らしています。

帰国後、その体験をもとにした処女作『タイピー』を発表しました。1850年には作家ナサニエル・ホーソーンと親しくなり、翌年の『白鯨』は彼に捧げられています。けれども作品は次々に不評に終わり、ニューヨークの税関の検査係として暮らしを立てることになりました。長男の自殺など不幸が続くなか、1891年に亡くなり、中編『ビリー・バッド』が遺作として残されました。

冒険物語の奥にある問い

初期の作品は、南の島や船の上での体験をつづった海洋冒険ものとして読まれました。やがて作品は悲劇性や象徴性を強め、生前の読者にはなかなか受け入れられませんでした。長編のほかに「代書人バートルビー」「ベニート・セレーノ」などの中短編や、長詩『クラレル』も残しています。

再評価のきっかけは、1921年に出たレイモンド・ウィーバーの評伝でした。その後、全集の刊行や『白鯨』の映画化が続き、サマセット・モームは『白鯨』を『世界の十大小説』の一つに選んでいます。現代では、絵画や人種の描き方といった新しい観点からも読み直されています。

メルヴィルの作品