梶井基次郎
1901年〜1932年・日本
どんな作家?
大正の終わりから昭和の初めにかけて、20篇あまりの短い作品だけを残し、31歳で肺結核のため亡くなった小説家です。散歩で目にした風景や身の回りの物を、感覚と知性の溶け合った澄んだ文章で描きました。生前はほとんど注目されず、真価が認められたのは死後のことです。
最初の一冊
檸檬檸檬
梶井の代表作で、五千字ほどの短さの中に、物の色や手ざわりで心の動きを描く梶井の書き方がよく表れているからです。
病と向き合った短い作家生活
大阪に生まれ、父の転勤で東京や三重の鳥羽でも暮らしました。電気技師を目指して京都の第三高等学校の理科に入りますが、そこで文学に目覚め、落第を重ねて5年がかりで卒業しています。この京都での鬱屈した日々が、のちの『檸檬』の背景になりました。
東京帝国大学の英文科に進んだ1924年、仲間と同人誌『青空』を創刊し、翌年その創刊号に『檸檬』を載せます。しかし反響は乏しく、結核の悪化もあって伊豆の湯ヶ島で療養しながら書き続けました。1931年、衰弱した梶井を見舞った三好達治らの奔走で、創作集『檸檬』が刊行されます。翌1932年に『のんきな患者』が評判をとった直後、大阪の自宅で亡くなりました。
見ることに徹した文章
梶井の作品は、私小説や心境小説の影響を受けながらも、詩人のような感覚の鋭さが際立っています。評論家の井上良雄は、その特徴を、見ることで対象の中に入りこむ書き方だと表しました。
横光利一は、静けさをこれほど見極めて描いた作家はいなかったと賞賛し、井伏鱒二は『交尾』を「神わざの小説」と呼びました。三島由紀夫も、自分の感覚の体験だけを信じて書く梶井の方法を、現代小説の活路になりうるものとして高く評価しています。
