伊藤左千夫
1864年〜1913年・日本
どんな作家?
明治の歌人・小説家で、東京で牛乳の製造販売を営みながら正岡子規に師事しました。子規の没後は短歌雑誌『馬酔木』『アララギ』の中心となり、アララギ派の基礎を作っています。小説では、初恋を描いた『野菊の墓』で夏目漱石に激賞されました。
最初の一冊
野菊の墓野菊の墓
左千夫の最初の小説で、短く一気に読めます。歌人らしい飾らない言葉で描かれた初恋の物語です。
牛飼いから子規の門人へ
本名は伊藤幸次郎で、上総国武射郡殿台村(千葉県山武市)の農家に生まれました。明治法律学校に入学しますが、眼病のため同じ年に中退します。牧場で早朝から深夜まで働いて独立し、26歳で錦糸町駅前に牛舎を建てて、牛乳の製造販売を始めました。
1898年、新聞に載った正岡子規の『歌よみに与ふる書』に感化され、1900年に子規庵を訪ねて三歳年下の子規に師事します。牛飼いが歌を詠むときに新しい歌が大いに起こる、という意味の歌は、身分や出自によらず誰もが自由に詠めるという子規の精神をこめた代表作とされます。1913年、脳溢血で亡くなりました。
写生を継ぐ歌と小説
子規の没後、根岸短歌会の歌人をまとめ、子規の「写生」の教えを受け継ぎました。島木赤彦や斎藤茂吉、土屋文明らを育て、茂吉の歌集『赤光』には左千夫への挽歌が収められています。
1906年に『ホトトギス』に発表した『野菊の墓』は、子規の写生文の影響を受けた小説です。ほかに『隣の嫁』『春の潮』などがあります。晩年は、感情をまっすぐに表し、熱情をほとばしらせる「叫び」の説を唱えました。茶の湯にも通じ、子規から「茶博士」と呼ばれています。
