堀辰雄
1904年〜1953年・日本
私小説が主流だった日本の文学のなかで、作りものとしての西洋風の小説を確立しようとした作家です。フランス文学の心理主義と、日本の王朝女流文学を融け合わせて、独自の世界を作りました。肺結核を病みながら、療養を重ねた軽井沢を舞台に多くの作品を残しています。
最初の一冊
堀の代表作で、高原の療養生活を描いた澄んだ風景描写と、時の流れを刻む構成という堀の持ち味が、最もよく表れているからです。
震災と病に形づくられた歩み
1904年、東京・麹町に生まれ、母とともに向島で育ちました。彫金師の養父を、本当の父だと信じて大きくなっています。数学者を夢見ていましたが、第一高等学校で知り合った神西清に導かれて文学に目覚めました。
1923年の関東大震災では隅田川に逃れて命拾いしたものの、母を震災で亡くしました。同じ年の秋には、室生犀星から芥川龍之介を紹介されています。1927年の芥川の死に大きな衝撃を受け、その死をモチーフにした『聖家族』で文壇に認められました。
肺を病み、軽井沢や富士見高原の療養所で過ごすことの多い人生でした。1933年に軽井沢で出会った矢野綾子と婚約しますが、綾子は1935年に亡くなり、その体験が『風立ちぬ』になります。1938年に加藤多恵子と結婚し、晩年は信濃追分で療養生活を送って、1953年に48歳で亡くなりました。
西洋と王朝の融け合う文学
堀はプルーストやリルケなど、当時のヨーロッパの先端の文学を病床で読み込みました。のちに折口信夫から日本の古典文学の手ほどきを受け、『かげろふの日記』など、王朝文学に材をとった作品を書いています。初めての長編『菜穂子』は、第1回中央公論社文芸賞を受けました。
戦時下でも時流に安易に合わせない作風は、立原道造、中村真一郎、福永武彦らに支持され、彼らは堀の弟子のような存在として知られています。三島由紀夫は、独創的な文体を作った作家として、森鷗外や小林秀雄とともに堀の名を挙げました。
