ニコライ・ゴーゴリ
Nikolai Gogol
1809年〜1852年・ロシア
ウクライナの小地主の家に生まれ、ペテルブルクの小役人や地方の地主たちを、誇張をまじえた笑いで描いたロシアの作家です。戯曲『検察官』や短編『外套』、長編『死せる魂』で知られ、ロシアのリアリズム文学を開いた一人とされます。その笑いは「涙を通しての笑い」と呼ばれました。
最初の一冊
短い一編のなかに、ゴーゴリらしい脱線の多い語りと、笑いから哀れみへ急に変わる調子がそろっています。のちのロシア文学への影響を知るうえでも入口になる作品です。
ウクライナからペテルブルクへ
1809年、ロシア帝国ポルタヴァ県ソロチンツィの小地主の家に生まれました。中学時代は学業より絵画と文学に熱中し、学校演劇では老け役を得意としたといいます。卒業後に首都ペテルブルクへ出ますが、自費出版した詩は酷評され、俳優を目指して失敗し、下級官吏として働きました。この時期の貧しく寒々とした暮らしが、のちの「ペテルブルクもの」に生かされます。
1830年代に故郷の民話に取材した『ディカーニカ近郷夜話』で人気作家となり、プーシキンとも親しく交わりました。1836年の『検察官』で名声は高まりましたが、風刺への非難を避けて国外へ移り、人生の大部分をドイツとイタリアで過ごします。晩年は信仰にのめり込み、『死せる魂』第2部の原稿を焼いたのち、1852年に断食の末に亡くなりました。
笑いと嘆きの同居
ゴーゴリの中期以降の作品は、役人や地主の暮らしを細かく、極端に誇張して描くことから生まれる笑いと、人間の俗悪さや卑小さへの嘆きが同居する文体を特徴とします。『鼻』や『外套』には現実離れした出来事も入り込み、写実と幻想の境目が揺らぎます。
後に続くロシア文学への影響は大きく、日本でも芥川龍之介の『芋粥』の導入部が『外套』によく似ていることが知られています。宇野浩二の饒舌な文体や、後藤明生の作品など、ゴーゴリの小説作法に学んだ日本の作品も数多くあります。
