アンドレ・ジッド
André Gide
1869年〜1951年・フランス
厳格なプロテスタントの家に育ち、人間の自由とキリスト教的モラルの対立を書き続けたフランスの作家です。小説『狭き門』『田園交響楽』『贋金つくり』のほか、半世紀以上にわたって『日記』を書き残しました。ソ連の実態を批判した旅行記でも知られ、1947年にノーベル文学賞を受けています。
最初の一冊
一人称の語り手による筋の追いやすい作品で、ジッドが生涯向き合った信仰と愛の葛藤が、一組の男女の物語としてまっすぐに描かれています。
厳格な家庭から文壇の中心へ
1869年、パリに生まれました。父はプロテスタントの家系の法学者で、パリ大学の教授でしたが、ジッドが11歳のときに亡くなり、母や伯母に育てられます。1891年、母方の従姉マドレーヌへの思いを主題にした『アンドレ・ワルテルの手記』を自費出版し、詩人マラルメに絶賛されました。
1893年からたびたび北アフリカを旅し、そこでの体験がキリスト教的な束縛から抜け出す転機になりました。1895年にマドレーヌと結婚し、1908年には文芸誌『新フランス評論』の創刊に加わります。1925年からのアフリカ調査ではフランスの植民地支配を告発し、1936年のソ連訪問のあとはスターリン体制を批判して、各国のソ連支持者から激しく攻撃されました。1951年にパリで亡くなり、著作は死後、ローマ教皇庁によって禁書に指定されています。
自由と信仰のあいだで書く
作品の根には、幼いころに受けた厳格な宗教教育と、自らの欲求との矛盾があります。ジッドは、一人称の語り手による筋の単純な作品を「レシ(物語)」、皮肉や諧謔に満ちた作品を「ソチ(茶番劇)」と呼び、本格的な「ロマン(小説)」と区別しました。
自ら「ロマン」と認めたのは『贋金つくり』だけです。作中の小説家が同じ題の小説を書くという「小説の小説」の手法は、のちのヌーヴォー・ロマンの作家たちに大きな影響を与えたと言われます。日本では堀口大學や山内義雄らの手で紹介され、横光利一の純粋小説論には『贋金つくり』の影響があるとされています。
