有島武郎
1878年〜1923年・日本
白樺派の中心人物の一人として、小説や評論で活躍した作家です。札幌農学校とアメリカ留学を経て文学の道に進み、『カインの末裔』『或る女』を書きました。晩年には北海道の農場を手放し、1923年、軽井沢の別荘で波多野秋子と心中しています。
最初の一冊
有島の作品のなかで最もよく知られた長編で、偽りの多い男社会にあらがう意志の強い女性を描いた代表作だからです。
札幌とアメリカを経た生涯
東京の小石川で、大蔵官僚で実業家の有島武の長男として生まれました。4歳で一家が横浜に移り、米国人の家庭で暮らしながら横浜英和女学校に通います。この頃の体験が、のちの童話『一房の葡萄』を生みました。学習院を経て札幌農学校に進み、内村鑑三らの影響で1901年にキリスト教に入信します。
1903年に渡米し、ハバフォード大学の大学院とハーバード大学で学びました。社会主義に傾き、ホイットマンやイプセンを読んだのもこの時期です。1907年に帰国すると信仰に疑いを持ってキリスト教から離れ、母校で英語を教えながら、弟の有島生馬を通じて志賀直哉や武者小路実篤と出会い、『白樺』に加わりました。
1916年に妻の安子と父を亡くすと、本格的に作家生活に入ります。1922年には『宣言一つ』を発表し、北海道の狩太村にあった有島農場を開放しました。翌1923年、『婦人公論』の記者で人妻だった波多野秋子と心中します。弟に画家の有島生馬と作家の里見弴がおり、長男は俳優の森雅之です。
思想家としても読まれた作風
1917年の『カインの末裔』で名を知られるようになり、1919年に『或る女』を発表しました。文章は高く評価された一方で、作品の主題や人物は同時代の読者には受け入れられにくかったとされています。
同時代の人々は、有島を小説家であると同時に、思想家や社会批評家として見ていました。作品には聖書やトルストイ、無政府主義的な社会主義の考えが取り入れられています。没後は、二十巻を超える詳しい日記でも知られるようになりました。魯迅が紹介したことから、中国でも広く知られています。
